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大阪高等裁判所 昭和60年(う)877号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納できないときは、金一、五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審の訴訟費用はこれを二分し、その一を被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人永嶋里枝作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は、検察官小林秀春作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、(一)原審は、第七回公判において、検察官から突如としてなされた本件通行禁止違反の訴因、罰条を、予備的に過失による通行禁止違反に追加変更する旨の請求を許可したが、これは本件につき、被告人に故意がなかつたことが一応立証でき、一度結審された後の段階で弁論再開の申立とともに請求されたもので、検察官の誠実な訴訟上の権利の行使とはいえず、以後被告人は、過失につき新たな防禦範囲の拡大を強いられ、訴訟は過失の存否をめぐつて相当な期間継続することが考えられるから、このような訴因、罰条の変更請求の原則にもとる場合裁判所は、検察官の右変更請求を許さないことが例外的にできると解するのが相当であつて、原審の右措置は、刑事訴訟法三一二条一項の解釈適用を誤つたものであり、訴訟手続に法令違反があり、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである。(二)仮りに、前示訴因、罰条の予備的追加変更の許可が適法であるとしても、原審は被告人に対し、新たに十分な防禦の機会を与えていないのはもとより、職権による証拠調べも怠つており、この点の審理不尽は訴訟手続の法令違反にあたり、この違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よつて、所論と答弁にかんがみ、記録を調査して検討するのに、本件訴因の追加変更前の公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五九年七月一〇日午後〇時二五分ころ、道路標識により北行の通行を終日禁止されている神戸市中央区浜辺通二丁目一番、三宮国際ビル東側付近道路において、南から北に向かい普通乗用自動車を運転して通行したものである。」というのであること、被告人は右公訴事実に対し、「起訴状記載のとおり運転したこと自体は間違いないが、通行が禁止されているとは知らず、道路標識は運転席から死角になり見落した。本件道路に一〇メートル位進入したところで、北行通行禁止ではないかとの疑念が生じ停止したが、そのとき前方にいた警察官が手招きしたので、約三〇メートル進行したところ検挙された。」旨供述し、検察官請求の書証の一部を不同意としたこと、そこで検察官において警察官小谷大造(犯行現認状況等)、同小林賢二(実況見分調書の真正成立等)、同大野盛之、同加藤達也(小谷巡査が手招きした事実の有無等)の四名を証人として申請し、被告人からは、書証として運転席から死角になつて道路標識が見えない状況等の写真が、証人として被告人の車の同乗者豊田覚次(警察官が手招きした事実)がそれぞれ請求され、いずれも採用のうえ証拠調べがなされたこと、被告人は検察官側証人に対し適切な反対尋問をしていること、第三ないし第六回公判における被告人質問においても、被告人は前示被告事件に対する陳述及び後記予備的訴因に対する陳述とほぼ同旨の供述をしていること(なお、当審における供述もこれと同旨である。)右の経過を経て原審は、昭和六〇年六月一一日の第六回公判において結審し、同年七月一二日に判決宣告期日が指定されたが、同日の第七回公判において、検察官から弁論再開の申立と本件訴因、罰条を予備的に過失による通行禁止違反に追加変更したい旨の請求がなされたこと、これに対し、被告人からはいずれも異議がなかつたこと、原審は弁論の再開を決定したうえ、訴因、罰条の追加変更請求を許可したこと、右許可された予備的訴因は、「被告人は法定の除外事由がないのに、昭和五九年七月一〇日午後〇時二五分ころ、道路標識により北行の通行を終日禁止されている神戸市中央区浜辺通二丁目一番、三宮国際ビル東側付近道路において、右道路標識の表示に気づかないで南から北に向かい普通乗用自動車を運転して通行したものである。」というのであること、右公訴事実に対し被告人は、「道路標識に気づかないで本件道路に何メートルか進入したことは間違いないが、一方通行道路かどうか確認するためと後続車に邪魔にならないように少し進入しただけである。」旨供述していること、原審は即時結審し、同日の午後一時三〇分被告人に対し過失による通行禁止違反の罪が成立するものとし、予備的訴因を認めて有罪の判決をしたこと、以上の事実を認めることができる。

右審理の経過によると、検察官は前示証拠調及び被告人質問の結果にかんがみ、本件通行禁止違反の訴因、罰条を予備的に過失による通行禁止違反の訴因、罰条に追加変更する必要を認め、その旨の変更請求をしたものであるところ、元来検察官の訴因変更請求(予備的追加変更を含む)は、公訴事実の同一性を害しないかぎり原則としてこれを許さなければならないのであり(刑事訴訟法三一二条一項)、訴因変更について時期的制限はないから、弁論終結後にその必要が生じたときは、弁論の再開をしたのち変更を許可する場合もあり得るのであり、原審公判の全過程に照らし検察官の訴因変更請求に権利濫用のかどはなく、以後の本件の審理が不意打ちとして被告人の過失の存否をめぐつて更に延び、被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞があつたとは認められず、公判手続停止のうえ防禦の準備をさせる必要はなかつたと考えられるから、原審の訴因、罰条の予備的追加変更の許可は適法といえねばならない、(所論引用の判例は、検察官が、当初弁護人の求釈明によつて訴因から除外することを確認した事実を復活させようとして、約二年六カ月にわたる審理のあと訴因の変更を申立て、かつ訴因の変更により、訴訟はこんごなお相当期間継続すると認められる場合に関するものであつて、本件とは事案を異にし適切でない。)。そして、本件予備的訴因の成否は、要するに、被告人において、道路標識に気づかなかつた点に過失があつたかどうかに尽きるのであり、この点の判断は一件記録の検討により可能であるから、原審が職権により、本件現場の検証をせず、かつ本件審理の経過からみて、他の証拠調べも必要ないと判断して行わなかつたとしても、この点につき審理を尽くさなかつた違法があるとはいえない。してみると、原審の訴訟手続に所論のような法令違反のかどは存しないから、論旨はいずれも理由がない。

二審判の請求を受けない事件について判決をしたとの主張について

論旨は、(一)原判決は、「被告人が本件道路に設置された進入禁止の標識に気づかないで約一〇メートル位通行したこと、更に、右進行後一旦停止した際、前方約四〇メートル先の交差点で交通整理をしていた警察官の挙動を、不注意により自分を手招きしたものと見誤り、同所から交差点までの約四〇メートルを通行した」との事実を認定しているけれども、前示主張のとおり、本件で訴因、罰条の予備的追加変更が違法であるとするかぎり、進入禁止の標識を無視して通行したかどうかが審判の対象となるからであるから、原判決の右の認定は明らかに審判の範囲を越えて判決したものといわざるを得ない。(二)仮りに、訴因、罰条の予備的追加変更が適法であるとしても、右の予備的訴因は、「道路標識により北行の通行が禁止されている本件道路において、右標識に気づかないで南から北に向かい普通乗用自動車を運転して通行した」というものであり、不注意により警察官が自分を手招きしたものと見誤り、約四〇メートル通行した旨の前認定事実は、訴因として掲げられていないのであるから、原判決はこの点においても、訴因の範囲を越えて審判したことは明らかであり、いずれも審判の請求を受けない事件について判決したというべきである、というのである。

よつて検討するのに、右(一)の論旨については、その前提となる訴因の予備的追加変更の許可は前示のとおり適法であるから、その内容に立ち入つて判断するまでもなく、失当である。

そこで、(二)の論旨につき所論と答弁にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、本件の前示予備的訴因は、要するに、「道路標識により北行の通行が禁止されている本件道路を、右標識の表示に気づかないで南から北に向かい普通乗用自動車を運転して通行した。」というのであり、これに対し、原審の認定した罪となるべき事実の要旨は、「本件道路に差しかかつた際、同道路は道路標識により北行の通行が禁止されているのに、その確認義務を怠り、右標識に気づかないで南から北に向けて約一〇メートル右道路に進入し、更に右進入後一旦停止したが、その際、前方約四〇メートル先の交差点において交通整理をしていた警察官の挙動を、自らの不注意により自己を手招きしたものと見誤り、右交差点まで車両を運転通行した。」というのであるところ、本件では、本件道路の南側交差点入口から北側交差点南側までの通行違反を起訴していることは明白であるが、原判決はこれを二分し、前段にいう一〇メートルの通行と後段の四〇メートルの通行とに分け、それぞれ別個の過失によるものであるかの如き認定をしていることは所論のとおりである。

しかしながら、原判決の「罪となるべき事実」及び「被告人の主張に対する判断」の説明を検討すれば、原判決は、結局被告人が道路標識に気づかなかつたという一個の過失により、本件道路南口から進入し、北側交差点付近まで通行した一連の通行禁止違反の罪の成立を認めていることが明らかであり、警察官の挙動を自らの不注意により手招きしたものと見誤つたとの表現は、途中一旦停止後発進して北側交差点付近まで進行するに至つた一事情として記載したにとどまり、別個の過失犯の成立を認めた趣旨ではないと解するのが相当である。従つて、原判決に審判の請求を受けない事件について判決をした違法は存しない。論旨はいずれも理由がない。

三事実誤認の主張について

論旨は、原判決は、被告人が進入禁止の道路標識に対する確認義務を怠り、これに気づかないで進行した旨過失による通行禁止違反罪の成立を認めたが、右認定は誤りであり、到底納得できない。即ち、(一)被告人は国道四三号線と平行する緩速道路を東進し、同道路と北方に鈍角に交差している本件道路に入り、これを北進したのは事実であるが、これは偏に、緩速道路を東進し右交差点に差しかかつた車両は、本件道路に入りこまず南側を走つている四三号線に入つて進行するよう、道路状況に応じた適切な道路標示及び道路標識がされていなかつたことに加えて、本件進入禁止の道路標識が見えやすい位置に設置されていなかつたため、被告人は運転席のバックミラーにさえぎられて死角となり、これが見えなかつたことによるものであり、過失はない。(二)被告人は本件道路への進入が禁止されているのかどうか不明確であつたので、緩速道路終点付近で停車して確認しようとしたが、後続車が一台あつて妨害となるため、やむを得ず本件道路へ約一〇メートル進入し、左側に停車したのであり、被告人の右の判断と進行は非難することができず、通行禁止違反には当たらない。(三)被告人は右停車後、前方にいた警察官が手招きしたので発進し、約四〇メートル北進したものであり、手招きしていないのにしたと見誤つたことはないのに、見誤つたとしてこの点をとらえて通行禁止違反を認定した原判決は誤りである。以上のように原判決には事実誤認がある、というのである。

よつて、所論と答弁にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をあわせ検討するのに、原判決挙示の証拠及び原審で被告人が提出した写真五葉、当審受命裁判官の検証調書、当審における被告人の供述を綜合すると、次の事実を認めることができる。即ち、

(一)被告人は国道四三号線に平行して東西に走つている緩速道路を東進し、同道路と本件道路(市道東部二〇一号線)とが鈍角に交差する交差点を左折(北進)して本件道路に進入するに際し、その入口の道路両側に設置された終日車両進入禁止の道路標識に気づかず左折北進し、約一〇メートル進行して道路左側に一時停車したこと、(二)右緩速道路は右の交差点付近で四三号線と合流しているが、同道路上には、進行方向の指示標示として東方(直進)を指している矢印が二カ所に鮮明に表示されており、また、同道路右側に一カ所、左側には二カ所にわたつて矢印が上部を指している指定方向外進行禁止(東方への進行以外は禁止される)の道路標識が設置され、右道路標識のうち、道路右側に設けられたもの及び同左側のオーバーハング式のものは、東進車両から見てこれをさえぎるものはなく、よく確認できる位置と高さに設置されていること、(三)前示のとおり、被告人が進入しようとした本件道路の南端の道路両側(東西)には、車両進入禁止の道路標識が設置されており、特に東側の標識はオーバーハング式のものであり、本件当時被告人が運転していた車両を使用して検証した結果によると、緩速道路の停止線(本件道路の南端の横断歩道南側より約一九メートル西方にある。)付近の運転席から東側の右道路標識はよく見ることができ、また、進行経路によつては運転席のバックミラーが妨げになつて見えなくなる時もあるが、顔を少し移動すれば見えること、以上の事実が認められ、道路標示及び道路標識の設置について所論のような不備があるとは考えられない。

以上の事実関係を前提として、本件道路に進入し約一〇メートル進行した点に被告人の過失が存するかどうかについて検討すると、前示緩速道路上の指示標示及び同道路両側の道路標識に従つて、車両は真直ぐに東進するのであるが、そうすると前方高架橋脚に突き当たるので、その手前で緩速道路と合流している前示四三号線に入つて進行することになるのであり、右合流地点付近の地形等特に橋脚に突き当たることを理由に、本件道路に進入してもかまわないといえるはずのものではなく、また、被告人の供述するように、「緩側道路左側(北側)の路側帯に沿つて進行するのが運転者として常識でこれに沿つて本件道路に進入して行つた」というのでは、前認定のとおりの本件現場付近の道路標識、道路標示の現状に照らしその判断は誤つていることが明らかである。そして、被告人は、緩速道路を走行中、前示道路標示はこれを現認したと考えられるし、道路右側の指定方向外進行禁止の道路標識及び同左側のオーバーハング式の同標識を現認しているのであるから、これと異なる進路をとり左折して本件道路に進入しようとするのであれば、自動車運転者としては一段と注意深く進入禁止の道路標識があるかどうか確認すべき義務があり、もし、運転席のバックミラーが前方への見通しの妨げとなるなれば、顔を左右に動かす等してこれが存否の確認につとめなければならないのに、これを怠り、道路標識はないものと軽信して進入し、約一〇メートル進行したのであるから、過失による通行違反の罪が成立するのは明白であり、一時停車して標識を確認すると、後続車の進行の妨害になるという理由だけでは標識を確認しないで進入してよいということにはならない。その他記録を精査しても、以上の点に関し原判決に所論のような事実誤認はなく、論旨はいずれも理由がない。

次に、被告人が本件道路に進入し一旦停車後更に約四〇メートル進行した点について、過失による通行違反の罪が成立するかどうか検討するのに、被告人は一審以来、本件道路を約一〇メートル進行した地点で一方通行道路ではないかと不審を感じて、左側に寄つて一時停車したことを含め、更に発進して行つたのは、約四〇メートル前方(北側)の交差点付近で交通検問に従事していた小谷大造が被告人を手招きしたので、同警察官のところまで進行したのである旨供述するに対し、同警察官を始め、同所で交通検問に当たつていた警察官らは、手招きした事実は全くない旨供述し、両者相反するのであるが、被告人の供述には一貫性があり、かつ具体性に富んでいること、一般に交通検問に当つている警察官が、違反者から事情を聴取するため、自己のいる場所まで来るよう合図するのも、ないことではないと考えられること等の事情からすれば、被告人の供述が一概に排斥できない面もあり、警察官の手招きがあつた疑もなくはない以上、結局、この段階での過失による通行禁止違反の点は犯罪の証明がないとしてこれを否定すべきものと認められる。従つて、約四〇メートルについても過失による通行禁止違反を認めた原判決には、この点において事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五九年七月一〇日午後〇時二五分ころ、普通乗用自動車を運転して神戸市中央区浜辺通二丁目一番、三宮国際ビル東側道路(市道東部二〇一号線)にさしかかつた際、同道路については終日車両進入禁止の道路標識が設置されていたのにもかかわらず、その確認を怠り、右標識に気づかないで同道路へ左折進入して約一〇メートル進行し、もつて通行が禁止されている道路を通行したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

原判示法条に刑法六六条、七一条、六八条四号を追加する以外は原判示法条と同一であるから、これを引用する(なお、刑事訴訟法一八一条一項本文は、当審における訴訟費用についても適用する。)。

(裁判長裁判官原田直郎 裁判官荒石利雄 裁判官谷村允裕)

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